いやはや、梅雨が明けましたがな。
という書き出しの6月23日の記事を、6月29日にアップいたします。m(__)m

6月23日は晴天。という個人的なの思い込みが崩れたのは、2019年だったかしら。確か2年連続で大雨になって、ああ、昔の人が見出して伝えてくださった二十四節気などは成り立たなくなってしまったのね。それもこれも地球温暖化のためなのね。などと嘆いていました。

が、
今年の6月23日はきちんと晴れました。ものすごく暑い/熱い太陽に照らされて・・・ひっそりと深天舎の事務所を開きました。
とは申しましても、事務所のカギを受け取ったあと、ドアを開いて各所に塩を盛ってお願いしただけですけど(しかも自分でw)。

4階まで(階段で!)荷物を運んで、汗だくだくのままデスクを組み立てて、そこで新しいクライアントからの依頼を作業しつつ(深謝)、効き目の良い据え付けのエアコンに感謝しながら、そのクライアントから頂いたカレンダーを真新しい壁紙に貼り付けた頃、ちょうど12時になりました。

沖縄県では「沖縄全戦没者追悼式」が今年も開催されました。それのテレビ中継を見ながら、涼しい室内でお昼ご飯を食べていました。

この時期(23日を外して)には、必ず平和祈念公園を訪ねています。いつからか忘れましたが、記憶にある限りでは20年近くは。

平和って、大事よね。
幼少期から小学生、中高生くらいまで沖縄で育った人たちの魂には、平和であることの大切さがぼんやりと刻まれています。平和教育として「沖縄戦の記録・記憶」を学んできたからです。
私のような人間でも、ぼんやりと魂に刻まれています。
平和って、当たり前ではないということ。

ただ、戦後77年も経過すると、平和教育の根幹にいらした戦争体験者の方々もお亡くなりになり、平和教育の要であった「戦争体験の証言」を語れる人が少なくなってきました。

それを受けて今、沖縄の平和教育は「戦争体験をいかに後世に継承するか」というところに重きが置かれています。

しかしまた、数年前からは違う潮流も生まれています。

新しいカタチの平和教育、平和学習として「自分たちで平和の在り方を考える・話し合う」というスタイルが生まれているのです。

私も3年前から、沖縄県の「平和啓発プロモーション事業(御万人ぴーすふるアクション)」という事業をお手伝いしております。
その事業に置いて提案してきたのが「平和はひとりひとりの心のなかから、ほんの少しの行動から」というメッセージであり、「ひとりひとりが自分たちで考える平和の在り方」という学習スタイルです。

戦争の記憶とその継承はとても大切なこと。その記憶を受け取ったわたしたちが「このあとどうするか」というところが重要なのだと言うことです。
伝える側は伝えることに重きを置きます。
受け取る側は、戦争はいけない・・・だけでは足りていない、いけないからどうするか、というところまで自分たちは考えて、ほんの少しでいいから動いていこう。
というところに、わたしたちは重きを置いています。

ぴーすふるアクションの詳しい話はまた別で書きますが、6月23日に事務所を開こうと考えたのは偶々であったとしても、黙っていても汗が流れてくる青い蒼い沖縄の晴天に照らされ、77年前の同じ日に思いを馳せます。

こんな暑い日に、エアコンもなく、満足に水も食事もないどころか・・・望んでもいないのに生死の境目に立たされる、という戦場が沖縄にあった。
私は戦争で死にたくはありません。自分の家族も親戚も友人も、そのような死に方はしてほしくない。
なぜ戦争は起きるのでしょう。その思いは消えません。

遠いはずのウクライナが、遠くに思えません。

キレイゴトですか?
いいえ。私は自分や周囲の人に戦争で死なれたくないから、こういう取り組みをしているだけなのです。

死ぬまで呑気に人生を楽しみたい。

ただそれだけのことすら、許されなかった時代があった。

どうにかなりませんか。
どうにかしたいと考えるところから。ほんの少しの行動から。

ウクライナも、戦争状態のすべての国も。


1件のコメント

21世紀の平和学習とは。 – ここからの戦略 株式会社深天舎 · 2022年7月2日 11:23 AM

[…] 詳しくはこちらの記事(公式ブログ)をご覧ください。 […]

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です