おはようございます。
今朝もセミがワシャワシャ鳴いていて、まぶしい太陽で目が覚めました。
「夏」って感じでステキですね。深天舎・平良です。

夏と言えば、深天舎は沖縄野球の聖地、奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム/セルスタ)のある奥武山公園を一望するシチュエーションにあるので、今の時期は甲子園の沖縄県予選が開催されていて、何ならその試合がセンター方向から半分(レフト側)だけ見えます。わたしの視力では望遠鏡が必要ですけど。笑

 バックスクリーンからライト側が見えないのは御愛嬌です。見えたら見えたで、仕事にならないかもしれないし。

 さてさて、この週末。元総理大臣が遊説先で射殺されるという大変な事件が起きました。その日その時、わたしはデスク正面のテレビを流しっぱなしにしながら企画書を書いていましたから、事件の最初期の報道から見ていました。衆人環視のなかでの犯行。背中に冷たい汗が流れました。

 が、例によって事件の詳細はマスメディアにお任せするとして、この事件の影響を考察してみます。

 参院選投票率への影響=前回と比較して、3.25ポイント増。思ったより限定的でした。これは政治に参加する/しないの行動が実にハッキリしてきたことを表しています。事件と投票行動は無関係に近かった。つまり、政治に興味を持っている有権者の数は全体の約半分だということです。

 参院選投票結果へ影響=国政与党が単独過半数に躍進。政治に興味を持つ有権者のなかでは安定志向が勝っています。ここ数か月の間で国際情勢、社会情勢の不安定さが目立ってきたので、与野党逆転で先の読めない不確実な未来に賭けるより、良いか悪いかは別としてある程度先が見える(気がする)現状維持のほうがマシだと判断したのだと。

 元総理が射殺されるという国内では稀に見る(見たくもない)大事件でありながら、その影響が限定的と表現できることは、民主主義国家としてはあまりよろしくない状況です。なぜなら民主主義国家の要は、国民が政治を見張っているところにあるからです。その意思の発露が選挙。選挙は国民の権利であり義務である、と言われる理由はそこにあります。
 すべての国民は自分たちの生活のために政治を見張る必要がある。そのために選挙がある。

 およそ民主国家においては政治に緊張感を与えるのは、選挙であるべき。
 遥か西のほうのキングダムでは国民の支持に基づいた閣僚による政権批判行動が相次いで、ついには国の首班が辞意を表明しました。ある程度の自浄作用が働いているということですね。

 我が国の政治はおよそ緊張感とは程遠い状況が続いてきた。ここに緊張感をもたらすものが、今回のような事件であってはならない。選挙でなければならない。

 選挙こそが民主主義の本質です。みなさん、投票しましょう。

 どんな選挙でも投票率が80%を超えたら、その結果は誰でもが受け入れられるでしょう。
みなさん、投票に行きましょう。
 意に適う候補者がいなければ、そのときは白紙(無効票になりますが)でもいいのです。まずは投票率を上げましょう。大事なことは選挙で自分の意思を表示することです。

 ああ、この話になると面倒な何かが自分のなかに沸き起こります。苦笑

 そろそろ仕事に戻ります。元総理もそうですけれども、歴史に刻まれることになったこの週末にお亡くなりになった全ての方のご冥福をお祈り申し上げます。

 今日も一日、頑張りませう。
 

 


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