おはようございます。
毎朝、高台にある家から出勤方向の天気を確認するのが習慣なのですが、今朝はやや離れたところで霧のような雨のような、うすーいカーテン状の何かが東から西のほうにスーッと移動していくのが見えました。あれって、何でしょうね(弱い雨でしょ)。
2022年4月1日。18歳から成人とするという法律が発効しました。民法の成年規定が改定されたわけですね。いまやハタチではなくジューハチから大人なんです。
しかしながら成人と言ったって、
A)18歳19歳には出来ること(法律的にやってもいいこと)と、
B)18歳19歳は出来ないこと(法律的にやってはいけないこと)があります。
このA/Bの違いは政府広報ページでも発表しているので、興味のあるかたはご覧ください。(広報ページはコチラから)
政府がこれで何をしたいのか、目的は何か、という話は置いておきますね。
最近は「アダルトビデオの出演など性被害が起きないか」という話題から、舞妓芸妓の世界では未成年の飲酒が普通なんですけど(しかもイイ歳した大人が飲ませている)、という告発が社会に突き付けられています。
昔、学校で教わった言葉に「境界人(マージナルマン)」があります。子どもと言うには大きくなりすぎていて、大人と言うには幼い。私は自分が18歳19歳の頃、まさしくソレだと感じていました。
高校を卒業してからハタチになるまでの2年間は、何となく大人になるための精神的な準備期間のような気がしていて、進学しようが就職しようが、この2年間に得るものは非常に大きい。子どもと大人の狭間で、もがき苦しむことが重要なのだと。
私自身はその2年間に「早く大人になりたい」「一人前になりたい」と考えていて、自分でむりやり自分の子ども部分の皮を剥ごうとしていたような記憶があります。
喜怒哀楽を意図的に抑えてみたり、作り笑顔を増やしてみたり、ゆったりと振る舞ってみたり、「3分間のバケーション」を味わうフリをしてみたり(本当は味は分からない笑)、いわゆる「自分で勝手に考えた大人像」を身にまとっていました。
それが良いかどうか、ではなく、自分の意志でむりやり大人になろうとしていた、と言いたいわけです。
日焼けした皮を剥いたら剥きすぎてしまって痛んでしまったこと、ありませんか? 18歳から20代前半頃のわたしは、子どもの皮をむりやり剥いて生乾きの大人。身の丈を遥かに超えた背伸びをして、早く中身がそれに追いつくように自分の中身を太く強くしようと焦り続けた日々、でした。
それでも自分の意志で進む道を選べた時代でした。
大人になろうとしない友達もいた。いつまでも親のスネかじりのままで、年齢だけ大人になってしまうヤツもいた。もしかしたら上手く社会に適応できなかったのかもしれない。どんな時代にも社会に適応できない人間はいるのだろう。
それが悪いわけではない。どんな人間にも生きられる場所がある。しかし、それ(自分が生きられる場所)に出会えるか、出会えないかという違いはある。自分は本当に幸運なのだろうと振り返るターニングポイントが私の人生にも幾つかあります。
話が逸れそうです。
18歳から大人。たとえば裁判員裁判。これは成人である全ての国民という規定がありますので、18歳19歳でも裁判員に選ばれる可能性が出てきた。わずか18歳19歳で、他人の人生に裁きを下す決定権を預けられることがある。
これなどは、制度上の欠陥に当たるのではありませんか。
人の人生を裁く裁判員という重責を負わせるならば、自治体の運命を背負う被選挙権も一貫して成人とすればいい。そもそもあれはいいけどこれはダメという決まり(法律)が多すぎて、息苦しくありませんか。という話もまた別の話題ですので割愛しますが、何となく不平等感がありますね。
今の若い世代は本当に大変です。
18歳でいきなり成人ですと言われて選挙権を渡され裁判員に任命される可能性を告げられ、「気をつけてね。悪い人がいるから注意するんだよ」と言われながらクレジットやローン契約の自由を渡され、でもタバコや飲酒はダメですよと言われる。
責任は課されるが、嗜好品は禁じられる。
なんじゃこりゃ。
なにこの不平等。(こっそり違憲?苦笑)
と、私は感じています。
自分の意志で大人になるのではなく、国の意志でむりやり大人にされる。無償化も伴って今や義務教育と言い切れるほどになった高校生世代は、昔のように「高校生からは大人みたいなもの」と扱われるよりも、「まだ高校生=子どもみたいなものなんだから」と扱われることのほうが多い。
そんな現代だからこそ、高校卒業から20歳までの2年間は、大人になるまで境界人(マージナルマン)として緩衝材のような時間になっているはずだし、誰の人生にとっても重要な時間である。と、私は考えています。
いまの若い人たちは、自分の意志とは関係なくいきなり成人の責任を課され、嗜好品は禁じられる。受難の世代かなぁと思います。
自分の都合で若い世代を動かそうとする大人は、昔も今も、残念ながらたくさんいます。
いつの間にか「自分で考えて、自分で決めた」ように思わされてしまうこともある。これは洗脳みたいなものですが、それに気づけない環境や状況もあるのです。
ある習慣を身に着けてほしい。サッカー用語で言うところのルックアップ(顔を上げる)、ルックアラウンド(周りを見る)です。自分はひとりではない。周囲の味方を探して、つながりを確認しておく。これが重要です(若い人がこれを読んでいらっしゃるかは知りませんが)。
話がたびたび逸れそうになります。苦笑
「若い大人」の世代を、社会が温かく見守って受け入れてあげられるか。これが重要な社会課題だと考えています。
SDGsだ何だと言ってみても、まずは自分たちの足元から。「若い大人」たちを大事にしてあげたいところです。
ちなみに能力的な部分では、若い大人たちはソートーなものですよ。まず生まれた時から携帯電話があって、人生最初のジブン携帯がデフォルトでスマホなんで、ガラケーなんて知らなくて当たり前、コミュニケーションの中核にSNSが存在していて、学校の授業にパソコンが使われるというIT[ネイティブですし、ディスカッションやファシリテーションの教育も受けていますから、30代以上とはスタート地点からして違います。
ただ、社会的な常識や経験が圧倒的に不足している、というだけなのです。それは年齢のため、あるいは教育や社会情勢のためであって、本人たちが悪いわけではない。
むしろチカラを発揮してもらえる環境を作れれば、成長するスピードはわたしたちの頃よりよっぽど早いスピードで成長するでしょう。
若い世代を大事に。そう思う今日この頃です。長くなった割りにオチなし。m(__)m
今日も頑張ってまいりましょう。
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