おはようございます。
さわやかな朝ですね。何というか「市長候補の〇〇です。清き御一票をよろしくお願いします!」という声が全く聞こえないという意味で。笑

 大きな公園の角で駅に直結していて交通量がすごく多い、という交差点が事務所の近くにありまして、間違いました、そういう交差点の近くに事務所がありまして、朝から晩まで「〇〇、〇〇を」「△△、△△をよろしくお願いします!」という声が、先週はすごかったです。ハイ。朝から晩まで。

企画書を考えながら、那覇市民として誰に投票するか、あるいは投票するかしないか(ソコから?)、どうやって決めようかなと思案していました。

その投票率、47.05%との発表がありました。
低いですね。
那覇市の市長選の歴史をたどってみると、1960年以降「一度当選した人は連続当選する傾向がある」「現職が再出馬するときは投票率が下がる傾向がある」「現職が引退するなど”世代交代”のときは投票率が上がる」という傾向があったのですが、今回は現職が勇退して新人2名が立候補する”世代交代”選挙であったにも関わらず投票率が前回よりも下がるという結果になりました。

 これをどう分析するか、各社様とも投票率低下の分析に悩まれるところでしょう。そしておそらく「若い世代を中心とした無党派層の投票率が低かった」という結論になるのではないかと推察しています。ただの推論で、深い意味はありません。

 わたくし思うに、選挙で投票するというのはもちろん「参政権」という国民の権利行使なのですが、別の意味では「投票は国民の義務」じゃないかと考えます。

その国に住んでいる以上は、その国で選挙があるなら選挙に参加する、少なくとも投票するのは国民としての責任じゃないか、という考え方ですね。

 近年は「基本的人権」を中心においた「個人の権利」を守る動きが重要視されていて、もちろんわたしも大賛成なのですが、その一方で「義務」や「責任」が置いてけぼりにされているような気がします。

働くのは国民の義務、と憲法に規定されています。
勤労の義務ですね。あとのふたつは教育の義務、納税の義務です。

勤労の義務はありますが、働いた収入は自分のもの。働いたお金で好きな生活をする権利が万人にある。教育を受ける権利も万人にある。そして、少なくとも中学校卒業までは教育を受けさせる義務も万人にあるのです。税金を納める義務、収めた税金は国民のために使われている(と信じたい笑)わけです。

 義務と権利は表裏一体、世の中はギブアンドテイク、ノーペインノーゲインという、わたしの賛同するいくつかの考え方が世界のスタンダードであるかどうかわたしには確かめようがありませんが、現代国家の在り方を考えて、ある程度は一般的であると仮定します。
 仮定した上で、投票する行為がどうなのか、ということですが「自分の一票では何も変わらないから投票に行かない」と言う人がいる、「政治不信が投票率低下を招いている」というところまでは、だいたいの人の共通認識かと思われます。

そこで提案したいのが「投票という行為(具体的には投票期間中に投票権を持って投票所に行くという行為だけ)を義務化する」ことです。
 参政権は権利ですから、行使するかどうかは投票所で個人で決めればいいです。しかし「投票行為(投票期間中の投票権を持って投票所へ行く行為)は義務」として、応援する候補者がいなければ白票を投じればいい、白票を投じるのが面倒ならその場で辞退すればいい。ちなみに正当な理由があって投票所に行けないときは事前に申し出ることも必要としましょう。

とにかく選挙期間中に投票権を持って投票所に行く。それだけを義務化するわけです。郵便投票ももちろんOKです。

 政治不信かどうかは個人の問題ですし、投票所で投票するかどうかは個人で決めればOKです。でも選挙期間中に投票権を持って投票所に行くという行為は義務とする。

 はい、国民は義務を果たします。あとは政治の問題ですね。政治の義務って、何でしたっけ? 笑

 いかがでしょうか。
 ステキな解(ステキ解/そのままやんけ)だと思いますが。

 それでは今週も頑張ってまいりましょう。


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