おはようございます。

 さて、前回(記事はコチラをクリック)の続きです。

 まず、沖縄県の平均寿命の全国順位が非常に低くなっているよ、でも、沖縄県も県民の平均寿命自体は伸びているので数字のマジックに騙されないでね。ということがひとつでした。知り合いから「目から鱗」というレスポンスが。笑 お互いに目から鱗を落としあう(笑)仲間です。

 次に、こちらが今日に続くわけですが、平均寿命は伸びるかもしれないが人口はピークアウトを迎えているので、これからマーケットが縮小していくよ。さあ、どうしよう。というお題目でした。

 個人の価値観が多様化(ではなく、本当は顕在化)してきた日本社会では、結婚しなくてもいいし、同性婚があってもいい、という考え方が市民権を得てきました。もちろん大賛成です。個人の生き方は自由であるべきだと。

 ただ、国や行政としてはそうも行かないよね。なぜなら国民(市町村民)がいて、税金を払ってくれるというのが国や行政の基本だから。人口が減っていくとなると、国の足元から崩れていくよと。だから人口はある程度を維持して、できれば微増が続くほうが良いのよね。あたりが本音です。

 だって、国は人の集まりだから。

 つまり、国としてはたくさんの高齢者がいるなら、たくさんの若者にもいてほしいわけです。しかし、若い世代は増えない(出生者数は下降線の一途)。何故なんだ! 保育士も増やすし出産一時金も金額をアップするし、子育てしやすい環境は絶対整えるから! みんな、結婚して子どもを産んでくれ! と叫んでいる方もいらっしゃるかもしれませんが。

 うーんそーじゃなくね?

 と、個人的には思っていますね。

 ここで前回記事の終わりのほうで書いた「まず「大卒最高!」みたいな価値観をぶっ壊すことが必要」という主張が出てくるわけですね。

 どこでどう間違ったのか(は、昭和と平成を振り返れば見えてきますが)、日本という国には大卒最高!の呪文が染みついてしまっている。だから、大学を卒業して良い会社に入社して高い収入を得ることが良い人生だというステレオタイプな考え方がまだ蔓延っている。

 それが違うとは言いません。良い会社に入社して高い収入を得るのが良い人生という考え方は、戦後の極貧時代を過ごした世代には夢のような人生設計そのものでしょう。なるべく我が子に苦労はさせたくない(少なくとも自分の苦労なんかとんでもない!)と考えるのも当たり前。だから、大卒で良い会社、なのです。

 でも、良い会社に入る前に、良い大学、の前の良い高校? の前の中学校、小学校、幼稚園の前の幼児教育から始めて、、、人間性はどうなるのでしょうか。これって豊かな人生と言えるのでしょうか。

 という視点がひとつ。

 大卒最高!の呪文に取りつかれた人(を相手に金儲けすること)を目当てに、二流はともかく三流四流の大学まで何と700校余りの大学が日本国内に乱立していて、奨学金貧乏まで生み出している。

 三流四流大学って、勉強しなくても行ける大学ですよ。お金さえ出せば。そんなところに我が子を通わせるより、専門学校なりで専門職を身に着けるほうが100倍くらい良いのに。

 しかしそんな専門学校だって利益優先だから……あー、やべー。教育の話にも意見がありすぎるので今日は割愛しますけど、まあ、大卒最高!の価値観はぶっ壊して、スキルを持っている人間、そのスキルで周囲に貢献する人間がきちんと評価される社会、そういう価値観が醸成されてほしいと願います。

 以上を前提に、マーケットの話に戻るわけですが(ものすごい遠回り)、結婚したい人が結婚しやすい社会って、なんですか? 子どもを産みたい人が産みやすい環境って、どんなんですか? 子育てしたい人が子育てしやすい社会って、どんなルールが必要でしょうか? 一生結婚なんかしないと考えている人にはどのような人生が? LGBTQの方々の生産性がとかヌカすトンデモ政治屋さんとかに問いたい。

 凝り固まった小さな牧場の小さな常識では現代は捉えられないほど複雑化していますよ。でも、それをひとつひとつ拾ったうえで、物事を判断していくことはできますよ。でも、凝り固まった小さな牧場の小さな常識ではダメですよ。そういう話なんですね。(と、どこかの偉い人が話していました)

 で、前回記事(こちらをクリック)では、企業などはコングロマリットへの再転換をお進めしますが、個人の分野では分業制が望ましいと思われると書きました。

 それぞれがそれぞれの役割を持って、周囲に貢献する。貢献しやすい社会。そういうことですね。

 わたしならまず、同性婚を認めますこれまで法律に規定されている異性婚と全く同じ権利を認めればいい。その代わり婚姻に伴う義務も背負ってもらえばいい。同性婚の夫婦が養子を迎えることも、婚姻を条件に認めるべき。それは血縁のある実子を持つ親と同じ権利と義務を持ってもらうということです。

 わたしたちの住む沖縄県には、混血(ハーフ、ミックス)も多いし、わたしの近しい人たちにはLGBTQの方々もいます。本当に沖縄県民に、物事を受容する大らかなチカラがあるのならば、まずは沖縄県からそういうことを始めてみればいい。と、真剣に考えています。
 うひゃー、言いたいことの30%も書いておりませんが、そろそろ時間切れ。

 年の瀬も押し迫っております。

 2023年が良い年でありますように。こころからそう願います。

 深天舎も開業半年、朧気ながらようやく道筋が見えてきた……かな。新しき年は羽ばたける年になるでしょう。

 皆様、ご家族様、ご一同様のご健勝を心より祈念申し上げます。

 それでは、良いお年をお迎えください。


1件のコメント

印象と本質(23年1月16日) – 深天舎ブログ「Deep Sky 19156」 · 2023年1月17日 10:16 AM

[…]  年末の記事で、沖縄県の平均寿命の話をしました(連続記事でした。詳しくはアチラとコチラをクリック)。メディアでは平均寿命の「全国順位」が下がったことを指摘して大騒ぎしているのであり、平均寿命そのものは沖縄県も伸びていて、寿命が短くなったわけではない。伸び率が他県より低くなったのだ。という内容をお伝えしました。 […]

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