投票は民主主義の根幹というより国民の命綱。

おはようございます。
今日の那覇市は曇りなのか晴れなのかハッキリしない天気です。首が痛いのは、昨夜、白ワインを呑みながらうたた寝してしまい、壮大な首カックンをやってしまったから、でしょうか。深天舎です。

この4月は統一地方選挙の言葉が主にメディアで飛び交っていました。

選挙と言えば、多数決の権化であり、民主主義の根幹と表現されますが、実は選挙(投票行為)は国民の命綱です。権利(参政権)だ何だと言われていて行使するしないは国民の自由だと突っ張る日本国民もいますが(実際に自由なのですが)、真剣な話で、選挙(投票行為)が有効に働いていない(機能していない)他の国をご覧ください。国民が牛耳られて、絞られて、内戦や国際紛争があったり、覇権主義だったりするようですよ。

日本国にはそんな国になってほしくないので、わたしは投票に行きます。

でもな、しっかりしろ、国政野党。(*´Д`*)

まるで烏合の衆じゃねえか。(*´Д`*)

野党も大きくなれ。政治に緊張感を。(*´Д`*)

あ、わたしは投票以外の政治参加はしません。していません。政治参加は投票のみ。

さて。

前置きが長くて申し訳ありません。

今日のテーマは「多数決の良し悪し」でございます。

わたしは数年前から、物事の決を採るのに多数決は使っておりません。

わたしが主催する会議などで挙手を願うのは、意見を述べてもらいたいとき、ひとりひとりの立場をハッキリ把握したいときくらいで、どのような意見が会議に出たとしても、どのような方向性に流れたとしても、議題に関する結論やその他の決め事などはすべて主催者であるわたしが決めます。わたしが決めて責任を持ちます。

その会議の結果が、のちにどの方向に進もうとも、多数決で決まったからなどとは口が裂けても言いません。多数決では決めていないからです。

多数決の良い点は、、、自分にとってどうでもいい(こだわりが無い)ことなら、わざわざ意見を言わなくて済むからラク。だけですね。わたしには。

他に多数決のメリットは見出せません。

多数決は万能に感じられるかもしれませんが、実はメリット10%、デメリット90%程度のシステムじゃないかなと考えています。

何しろ、多数決で負けた側のことを思えば……です。全てがそれです。恨みが残る場合が非常に多いわけです。100人の村で51対49で多数決が取られてしまうと、村は真っ二つですね。

会社の運命を決めるような会議で意見が真っ二つに分かれたとき、多数決で方向性を決めたら、意見が採用されなかった残りの半分は退職するかもしれません。

主流派と非主流派を決めてしまうシステム。それが多数決です。

でも、選挙を始めとして民主主義では多数決が採用されています。
何故か。
わたしには分かりません。(*´Д`*)

冗談です。責任の所在が曖昧になるからでしょう。主催者には気楽で手軽で良いのです。

多数決が有効に機能するためには、ひとつ絶対的な前提条件があります。

多数決には、お互いの信頼関係が必要不可欠。

つまり、勝っても負けても恨みっこなしで、かつお互いが相手の意見を尊重できるステキな関係である場合においてのみ、多数決は有効に機能するわけです。

チームのなかでリーダーを決めるとき、チームのメンバーがお互いに信頼し合っている関係であれば、多数決で良いリーダーが決められます。

逆にメンバーが信頼し合っていないとき、多数決で決められたリーダーに従わないメンバーが出てくる可能性が高いと想定できます。

伝わるでしょうか。

多数決はお互いの信頼関係のもとでしか成り立たないシステムです。

しかも、どんなに信頼し合っていても、会社の会議などでは多数決は採用してはいけないシステムなのです。

今ある信頼関係を壊しやすいのも、多数決というシステムの欠点です。

何故なら、全ての物事について100%同じ意見ですという人間関係は、ごくまれにしか存在しないから。

日々の判断決断は、その場で責任を持つべき人が決める。

多数決は採用しない。

これが企業を円滑に進める重要ポイントのひとつと考えております。

ご質問は下記お問い合わせフォームから。

それでは今日も頑張ってまいりましょう。


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