怠けて事務所の日陰から撮影・苦笑

こんにちは。

明らかに正午を過ぎてから記事を書き始めた深天舎・平良です。

今日は2023年8月10日。
沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業して20周年を迎えました。いや、思い出します。20年前というより、21年前ですね。とある広告代理店に転職した最初の年に、まるで投げつけられるように引き継がれた仕事が、沖縄都市モノレールの広告枠の作成。広告の種類や大きさ、材質などの仕様と販売価格を作るという仕事。

そのあとにボコボコと珊瑚の海から浮かんできたのは、モノレール広告を取り扱う広告組合を作るという大仕事。

当時の沖縄県内に広告会社が150社ほどあるということを把握できたのもその仕事の副産物。さらには、沖縄県内の大きなほうから順番に20数社の広告会社の社長様・役員様方とお知り合いになれたのもその仕事の副産物でございました。

ですので、今振り返れば結果としては、やって良かった!という仕事なのですが、あのときはただの地獄でした。笑

なんで1日は24時間しかないの!

が、口癖になりそうなくらいバタバタといろいろな仕事をしながら、やりたいことだらけだから時間が足りない。自分が学んできた知識をぶつけるとトライ&エラーで磨かれていく。経験に加えて、結果という新しい見地も生まれる。知識が知識と経験と見地を生んで、自分が成長していく。

そんな時代でした(遠い目)。

ちなみにモノレール広告の価格決定の際には、全国のモノレール会社をピックアップして、沖縄と比較できそうな規模の会社から料金表を送ってもらい……という地味な作業をしておりました。

当時はインターネットが今ほど普及しておりませんでしたから、WEBサイトで広告掲載の料金チェックなんざ出来るはずがねえ!

資料だってメールなんぞでは送れるはずが無え。

印刷物をコピーしてファックスで送ってもらったけど、文字が潰れて読めねえ。

何しろ、メールと言えばEメールじゃなくて、郵便!の時代でしたから。

いや本当に、隔世の感がありますね。20年前と20年後。

当時はPS2でしたものね。今やPS5ですよ(何の脈絡が)。

スマホもありませんでしたね。
コンパクトデジカメでさえも、まだ高級品でしたか。いや、まだ仕事用の撮影はフィルムでやっていた記憶があります。

いや~、あれから20年か~。

開業前に汗だくになりながら何度も駅舎に登らせて頂いたし、車両に入らせて頂いたので、暑い記憶ばかりです。
組合の設立も、、、大揺れに揺れまくって、、、権利ビジネスの部分は否めませんからね。
それにしても、あれから20年。笑

乗降客は最初の数年こそ苦戦していましたが、観光客を中心に利用者が増え続け、今では立派な公共交通としてなくてはならない存在になっています。

最大の利点は、定時定速。

次点の利点は、終電の言い訳利用。笑

早めに呑んで(酔って)、早めに帰る。
21時くらいからは車内が酒臭くなったり、終電が混んでいる様子などを(時々は酔っ払い当事者として)眺めていると、沖縄も相当変わったなあと感じますね。

ま、わたしが深夜まで呑むような年齢ではなくなったということもありますが。苦笑

さて。

当のモノレールでは、今日からウワサの3両編成も走っているようですが、まだ見ていません。
駅から100m(急ぎ足で30秒)という好立地の当事務所ですから、そのうち見られることでしょう。

ああ、今日はまるで思い出のアルバム。みたいな記事でございました。

沖縄は東西に二度横断した台風6号は、まだ日本を揺るがしています。

さすがに沖縄県内での停電は復旧完了したとは思いますが、心よりお見舞い申し上げます。(わたしも被害を受けましたが)。

台風一過、また元気に頑張ってまいりましょう。


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